ziptan’s blog

性的コンテンツを語る

抽象的評価が主なスキル習得に必要な情報の取捨選択は捨が難しいという話

最近自分に色々なスキルを身に着けてみたいな~と思う事があります。料理とかね

 

転職して色々自分に足りないものも見えてきた事や、そもそも自分に能力を携えるという事自体が嫌いじゃないからです。

自分はエンジニア職な訳ですが、例えばクエリのチューニングを行う場合においてインターネットに二つの方法が記載されていた場合判断条件の明確な目安として実行時間があり、「比較」という方法で完全明瞭万々歳の「捨」を行いその方法でチューニングを行うわけです(本当は他にも基準はあると思いますが省きます)

 

じゃあこの比較という行為が難しいものはどうしたら良いのでしょう?

自分の中でパッと出た物としては料理・漫才・アイススケート・美術系コンテンツ全般が上がりました。

 

子供の頃から思っていた事なのですが、漫才やアイススケートの点数評価には甚だ疑問を感じていました。

 

アイススケートにしては転ばない・派手に飛ぶ(四回転とか)を行う事以外の評価基準が全く分からない為、審査員は何をもって判断しているか理解できなかったのです。

 

漫才においては自分が全く面白くないものが高得点と評価されている事に個人の好みがあるだろうと納得は出来たのですがこれを点数評価するというのは不可能だろうと考えていました。

 

この思考自体は大人になった今も最低基準の評価(発声量とかでしょうか)がある事は理解していますが本質的な部分は変わっていませんね

 

美術系コンテンツにしてもそうです。これも子供の頃から評価基準が全く分かりませんでした。

ただ上述した最低基準の評価というものがある事は肌で感じていた様な気がしますし、「クラスによくいる絵の上手い奴」という人間の作品が他より優れている事は実感していました。

 

が、それを言語化出来るか?と言われると出来なかったと思います。

 

今思い出すと潜在的に漫才やスケートよりは評価への理解があったのかもしれません。「肌で感じていた」部分を言語化出来る人間が評価し点数を付けていたのでしょう

 

表題に戻りますが、要は抽象的評価が主なコンテンツにおいて「比較」という情報の取捨選択は最低基準の評価を超えたもの以外にはとても難しいという話です。

 

例えば料理レシピサイトにおいて客人に提供したい料理に二つのレシピがあるとして、

有名人が作ったレシピと一般人が作ったレシピが存在する場合は一般的に有名人のレシピを採用すると思います。

 

このように、知名度で比較する方法があると考えています。

知名度とは他人からの評価数だと思っているので、自分がその人への評価が低くても他人の評価は高い可能性が高い訳ですね。

 

ここまでは簡単に行える比較だと思いますが、

作りたい料理に二つのレシピがあり、どちらも一般人が投稿したレシピだとしたらどの様に判断するのでしょう?

 

自分が食べるだけであれば両方のレシピで作った後に自分の好みだと思う味を「比較」してそのレシピを選択すればいいのでしょうが今回は客人に提供する料理のレシピです、どう「比較」すれば良いのでしょうか?

 

勿論。しょっぱすぎるとか甘すぎるとか様々な自分の最低基準の評価という物が行えるとは思います。

 

そこから先の味のコクだとか出汁の深みだとかそのレベルの評価って行えますか?僕はマクドナルドを美味しいと思いながら食べる人間なので分かりません。

マクドナルド食品担当者の方が見てたらすみません。)

 

様はこの味のコクだとか出汁の深みレベルの評価って、そのスキルを習得した人間にしか分からないんですよね。言語化するのも難しいと思います。

 

じゃあ何で判断するのか?というとやはり先述した知名度になると思うのですが....

 

絵や料理において必ず著名人のコンテンツが自分に素晴らしい・美味しいと思えるかというと必ずしもそうではなかった事があると思います。二郎ラーメンとかもそれか。

 

長ったらしく書きましたが、結論としては「習得」の基準で学習方法を変えるべきだと考えました。習得したいスキルで他人の為に評価されたいのか、自分の評価が高いものを完成させたいのか。前者であれば世間から一般的に評価を得ている人間の方法を真似するのが効率の良い方法でしょう。後者は自分がこの人こそが!と思うものを信じるべきだと思います。

 

料理は自分の評価が高い物を完成させたいと思って学んでいますが、生野菜拉麺

 

は誰かに影響された訳ではなく我流ですので、スキル習得段階での我流はダメですね。